集団知の喧伝サイクル

最近、集団知の素晴らしさを喧伝するblogエントリーが目につく。Googledel.icio.usはてなブックマークdigg…などなどのサービスを賛評しつつ、いつの間にか背景にある集団知を褒めたたえていた、という構成が多い。しかし検索エンジンソーシャルブックマークの「こやし」であるblogは、既に集団知という機関の重要な部品であり、集団知を称えるblogは自賛の格好なのである。あるいは片棒を担いでいるという認識があるからこそ、集団知を褒めたくなるのかもしれない。もちろん、集団知は参考になる。正しいことも多い。でも、間違っていることもある。そして集団が間違えて認識していることは、ただでさえ訂正しづらい。この上、集団知などという権威的表現が加わればどうなるだろう?自画自賛をするつもりがないなら、集団知は肯定的に捉えるよりも否定的に捉えていくのが健全ではないかしら。