個人と組織と世論と同情

逮捕によってホリエモン同情論は急速に勢いを失ったが、今度は変わってLivedoorの「中の人」同情論が聞こえてきた。主に「M&Aを中心に巨大化してみたものの、Livedoorは結局のところ虚業だった」というマスコミの主張に対抗するもので、「Livedoorは確かな技術で色々なサービスを提供してきた実績があって、虚業なんて断じるのは「中の人」が可愛そうだ」とかいう内容。なんとも趣深いことである。Livedoorの「中の人」やその周辺から直接声が聞こえてくる、blog時代の情報伝搬を象徴しているのかもしれない。

アメフト部の事件についても思ったけど、人とその所属組織を半ば同一視して物語を作り進めていくことに、今更こんなにも素朴な反発が起きるとはなかなか意外である。人=組織という見方は、どちら側からであれ逃れられないものなのだと僕はとっくに諦めていた。「京大って犯罪者を生み出すような風土なんですね」と言われても僕は甘受する。Livedoorも株価の推移や財務状況を鑑みるに、ITサービスをさておかれ「虚業」と言われても仕方ないだろう。例えば違法建築に関わった人や、アメリカで牛肉を裁いている人がblogを書いて、「ちゃんとした仕事もやってたんですよ、悪いことばかり書いてマスコミはひどいもんです」と内情を伝えたとしたら、そこに同情論が生まれるのだろうか。bloggerは人と違う新しい意見を求めているから、十分ありそうな気がする。そう考えると今日の世論ってとても楽しい。